審美眼を養うということ 〜 父と小川寛さん 〜

審美眼という話が出ると父の末雄が江戸小紋の名人 小川 寛(かん)さんから教えられたことを思い出す。

昔、父が「実のあるいい呉服屋になりたいんですがどうしたらいいですか?」と小川さんに聞いた。
父は小川さんの江戸小紋の腕前を高く評価していた。
祖父の秀一が実力のある江戸小紋の職人であったため、小川さんの品物を扱う機会は少なかったそうだが、小川さんの縞染めの江戸小紋はとても素晴らしく、大好きだったという。

「末雄さん、いい物だけ見な。いい物だけ見ればいいんだよ」と小川さんは返した。

まだ若かった父は、いい物だけ見ても悪い物がわからないのではないか、と疑問に思ったと言う。
それでも言われたことはやってみようと染物、織物を見る機会があればそこにあるいい品だけを見るように心がけていった。
そうして過ごすうちに父は自分が見て良いと思う品と手の込んだいい物が一致していることに気が付いた。
また自分が見て良くないと思う品はそれほど手をかけていない品であった。
そして小川さんの言葉の意味を理解したという。

物にはさまざまな色、柄、技法があるが、いい物にはそれ特有の魅力、雰囲気がある。
言葉にすれば「色合いが素晴らしい」とか「柄が繊細だ」とか「技法が難しく高度だ」と言えるが、その前にそのものを見た者の内面に生じる心の機微であったり、そのものが発する印象が魅力であり、雰囲気である。
この言外のことに目をつけ、見抜く力は確かにいい物を見た時にしか得られない。
だから「いい物だけ見な」と小川さんは言った。

審美眼というのは経験によって養われる。
何に触れ、何と縁があり、どのようにそれと向き合うかが目を養うか曇らせるかを分つ。

父からこの薫陶を受けて私も品物を覚えていった。
これからも沢山の品物をみる機会があるが、その時はまたこの教えを思い出すことだろう。