祖父の江戸小紋

家業が呉服屋なのは祖父・内田秀一 が江戸小紋の職人を生業としていた事が由来です。

祖父は山梨県に生まれ、17歳になる年に上京して、浅草・駒形の浅野茂十郎という職人弟子入りしたそうです。
この浅野茂十郎という職人は「鬼茂(おにも)」と言われるほど厳しい人間であった様で、暴力・暴言を浴びながらの過酷な修行だったと聞きます。
修行を終えて山梨に戻ってからも、江戸小紋の仕事が回ってくることが少なく手拭いを染めて糊口をしのいだといいます。
こうした不遇の時代を乗り越え、伝統工芸展に入選するなど頭角を現し、職人として認められるようになったそうです。
そうした中で山梨県としては初めて無形文化財に指定されました。
祖父は孫の私には比較的甘かったように感じますが端々には頑固さを感させましたが、こうした祖父の来歴が少なからず影響している様な気がします。

祖父が亡くなった時には幼かった事もあり、祖父との思い出という何か具体的なものがあった訳でもなく、飴玉をくれたとか、お酒を飲んだ時に色々と口うるさく言われたといった記憶があった程度です。
私も薄情なもので祖父が亡くなってから約16年の間は、父に何かを祖父の事を尋ねる事もなく過ごしました。
ですから私の中では「一寸口うるさいじいちゃん」という印象がとても強くあります。

2006年に祖父の回顧展を開催した際に、祖父の染めた江戸小紋が一堂に会しました。
その頃は家業に入って間もないため着物を見る目が無く、祖父の仕事を見ても「ふ~ん」と思う程度でした。

祖父の仕事に初めて感心したのは2007年頃に改めて品物を見た時です。
一番初めに感じたのは柄付の精妙さでした。
江戸小紋は伊勢型紙を使って染めますが、その際に型が細かければ細かいほどに継ぎ目が難しくなります。
祖父の江戸小紋を見ると極めて細かい縞でも継ぎ目が殆ど解りません。

それから数年が経って今感じている事は色使いの精妙さです。
何気ない色が実はこの色とは断言しきれない様な奥行きのあるを持っています。

今でも記憶の中では「一寸口うるさいじいちゃん」ですが、江戸小紋を見ると「結構腕の良い職人」だと思います。

祖父の染めた江戸小紋の画像(九種類)