随分と前にご紹介した通り私の趣味は武術です。
現在は主に「 韓氏意拳 」という中国武術を練習しています。
始めて5年半になりますが、毎回の練習で新鮮な驚きあります。
意拳で特徴的なのは、「站椿(たんとう)」と呼ばれる練習です。
動きは「手を挙げる」など単純ですが、ただ行い、変化の過程に身を置いている時には芳醇な内容を有しています。
こうして運動の元への体感と理解が深まる事は運動自体を変えていきます。
站椿の練習風景
講師による指導(手把手)
この注目は体系が進んで拳の練習になっても変わりません。
拳の練習
「武」の前提にはごまかしが入り込む余地がない、嘘のない感じがします。
その中に身を置き、自身の身心を見直していく、と いう試みは自分の経験や想像を越えた驚きや発見に満ちています。
面白いのはこうした事の影響は単に「武術」というだけに留まらず、私生活や仕事にも影響がある事です。
「武術と呉服が繋がる」と言うとおかしな感じがするかもしれませんが、自分の中では「武術の練習が進むと呉服への理解が深まる」という感覚があります。